新入荷再入荷

江戸時代 京焼 清水焼 2代目清水六兵衞 六一銘 松竹梅文皿 工芸品

flash sale icon タイムセール
終了まで
00
00
00
999円以上お買上げで送料無料(
999円以上お買上げで代引き手数料無料
通販と店舗では販売価格や税表示が異なる場合がございます。また店頭ではすでに品切れの場合もございます。予めご了承ください。
新品 33,000円 (税込)
数量

商品詳細情報

管理番号 新品 :40316138 発売日 2024/08/07 定価 33,000円 型番 40316138
カテゴリ

江戸時代 京焼 清水焼 2代目清水六兵衞 六一銘 松竹梅文皿 工芸品

旧家から譲っていただきました。直径14cm、高さ3cm前後です。古い商品ですので、汚れ、窯キズ、ほつがあります。ヒビや割れは無いようです。写真をご覧になってノンクレーム、返品で購入お願いします。



2代目 清水六兵衞ネットより

二代六兵衞は、初代が52歳、1790(寛政2)年の時に生まれた(幼名・正次郎)。初代が亡くなった時には9歳で、すぐに家業を継ぐことは出来ず、1811(文化8)年に家業を再興し、二代六兵衞を襲名した。また今回新たに、初代没後、正次郎が幼少のため家業を継げるようになる頃まで、清水家を支えたと考えられる丸屋庄九郎という人物がいて、正次郎襲名の翌年没しているが、これを清水家では顕彰の意味を込めて、二代六兵衞と称したと推測される資料が見付かった。

二代六兵衞(正次郎)は初代の作風を継承しながらも、奔放で型破りな作風を打ち出した。呉須赤絵写、南蛮写、そして晩年近く磁器焼成に成功の後、古九谷写なども果敢に試みていたことが今回明らかとなった。二代は静斎と号し、印は初代の六角「清」印を二重にしたものを用いた。二代は、1838(天保9)年に隠居し、六一を名乗る。この際、次男に三代六兵衞を継がせ、長男には新たに清水七兵衞を名乗らせている。

二代はその後も積極的に清水家の基盤強化に努め、中でも1843(天保14)年に越後長岡藩主・牧野忠雅の命によって御山焼(御庭焼)に尽力したことが、その後の清水家の販路拡大の大きな布石となった。1860(万延元)年に死去。

商品情報の訂正

このページに記載された商品情報に記載漏れや誤りなどお気づきの点がある場合は、下記訂正依頼フォームよりお願い致します。

訂正依頼フォーム

商品レビュー

レビューの投稿にはサインインが必要です