管理番号 | 新品 :89225854 | 発売日 | 2024/03/23 | 定価 | 43,000円 | 型番 | 89225854 | ||
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ご覧いただきありがとうございます。 今井繁三郎の昭和22年の作品[泉]を出品いたします。 1910年2月7日、山形県東田川郡羽黒町(旧泉村)戸野に生まれる。 1927年3月、山形県立鶴岡中学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業後、画家を志し上京する。 芝絵画研究所に入所、山本鼎・山崎省三・木村荘八らに指導を受ける。 1930年、尾口勇に油絵の古典技法を学ぶ。 1936年、鷲田新太の誘いにより美之国社に入社。美術雑誌「美之国」の編集に携わる。 1937年、自由美術家協会創立に参加。 1941年 東北生活美術協会を結成。銀座資生堂(現:資生堂ギャラリー)にて展覧会を開催。 10月、美之国社の客員となり、海軍省の従軍画家として南方に赴く。 1942年 5月、帰国する。銀座資生堂にて展覧会を開催。 7月、満州国に赴き当時の奉天・新京・ハルピン熱河を写生旅行し9月に帰国する。 1943年、銀座村松画廊にて「海南島風物画展」開催。 7月、台湾に赴き、台北・高雄にて個展開催。全島を巡る。 10月、沖縄沖にて米艦の襲撃を受けるも、僚船に助けられて帰国。 1945年、敗戦、東京を離れて郷里に帰り、山野を拓いて家族と共に住み、7年間ランプ生活を体験する。 1946年、日動画廊にて旧自由美術家協会の会員展を開催。 1947年、毎日新聞主催美術団体連合展を東京都美術館で開催。 1956年、山形県美術連盟運営委員長に就任。 1957年、白甕社委員長に就任。 1964年10月、欧州に赴き、パリに滞在する。 1976年、美術団体「光陽会」の委員となる。 1979年11月、齋藤茂吉文化賞受賞 1981年、委員長を務める白甕社がサントリー地域文化賞を受賞[5]。 1983年5月、光陽会文部大臣奨励賞受賞。 1989年、美術団体「光陽会」の委員長に就任。 2002年1月9日、死去。享年91 サイズが額の横幅が67.3㎝、縦が82.5㎝になります。 額の中に埃?カビのような物みえますが額の裏に直筆の紙が貼ってあり、掃除するにはその紙を剥がす事になるのでそのまま出品いたします。 光の都合で背景が白く写りこんでいます。 古い物なので時代感や古物にご理解ある方の落札お待ちしています。 気になる事あれば質問してください。トラブル回避の為です。